2015年12月31日木曜日

引用ノック0811:オルテガ2

われわれスペイン人は、怨恨(えんこん)で装甲した胸を生に向かってさしだすものだから、事物はその胸につきあたると、無残にも追い帰されてしまうのだ。われわれの周囲には、もう何百年も昔から、諸価値の崩壊がたえまなく進行している。
(中略)
 私はこれらの論文の中で、私よりも年若い読者たち、私が無遠慮にではなく、直接話しかけることができる唯一の方がたに提言したいのであるが、それはそれはその方がたの心の中から、憎しみという習性をすべて追放していただきたいということ、そして愛がふたたび天地を支配するように強く願望していただきたいということである。
 このことを企てるために私の手に残されている方法はただ一つ、理解したいという強烈な熱望にゆさぶられている一人の人間の姿を、熱意を持ってその方がたに示すことだけなのだ。愛の種々の活動の中で、私が他の人たちに感染させようと努めることができるものが一つだけある。それは理解への熱望である。(中略)
 (……)私は、ある人たちが敵あるいは敵側の人たちを理解しようと努力する姿を見ないうちは、その人の味方あるいは味方の人たちに対する愛を、信用する気になれない。私の観察してきたところでは、少なくともわれわれスペイン人にとっては、真実性の要求に対してわれわれの胸襟(きょうきん)を開くよりも、ある倫理的ドグマに熱狂するほうが容易なのである。われわれはわれわれの判断力を、すべての瞬間において然るべき改革と匡正(きょうせい)に応じられるようつねに開放しつづけておくよりは、むしろわれわれの自由意志を、硬直した倫理的態度に決定的に引き渡すほうを歓迎するのである。いわばわれわれは世界の広大な部分を抹殺しながら、われわれにとっての生を単純化するために、倫理的命令を武器として胸にかかえているのだ、と言えるかもしれない。すでにニーチェは鋭いまなざしでもって、ある種の倫理的態度の中に、怨恨の形式と産物を見ぬいていた。
 このような怨恨(えんこん)から生じるものは、なに一つとしてわれわれに好意をいだかせることはできない。怨恨は劣等意識から発生するものである。つまりわれわれは自分の力では現実に抹殺できない相手を、想像の中で抹殺することである。われわれが怨恨を感じているその相手は、我々の空想の中で、死体のもつ土色の顔をしている。われわれはすでにその相手を故意に殺し、息の根をとめてしまったのだ。ところがそのあとになって、当の相手が現実の中では健在で悠々としているのを見ると、彼がわれわれよりも強い力をもつ亡者(もうじゃ)、その存在がわれわれのひ弱な性格に対する長老の権化、はげしい軽蔑を意味するわれわれの手に余る亡者のように思われるのである。
 怨恨をいだいている人がその敵の死を先取りするために、もっと賢(さか)しらな方法がある。それはわれわれがある倫理的ドグマを自分自身の中へ浸透させることである。すなわち、われわれはそのドグマの中で、ある種のヒロイズムの虚構に中毒し、われわれの敵にはひとかけらの理性もひとつまみの正当性もないのだ、と信じるようになるというわけである。マルクス・アウレリウスとマルコマニ人とのあの戦闘が、このことをいみじくも象徴しているよく知られている例である。その戦闘のとき、皇帝は彼の軍勢の前方に、円形競技場(キルクス)用のライオンたちを解きはなした。敵の軍勢は驚いて退却した。ところが彼らの隊長は大声で部下にこう言った。「恐れることはない! あれはローマの犬どもだぞ!」すると恐怖にとりつかれていた連中は落ち着きをとりもどし、逆襲して勝利をおさめたのである。ところで愛もまた戦う。愛は妥協にもとづくあやしげな平和の上に安住などはしない。しかしながらライオンに対してはライオンに対するように戦い、ほんとうに犬であるものしか犬とは呼ばないのである。
 こうして理解している相手を敵とする戦いこそまことの寛容であり、すべての剛毅な魂に特有の態度である。しかるにわが民族には、どうしてそのような態度がこんなに稀であるのか。
 ホセ・デ・カンポスはアソリンがその最も興味深い著作を発見した十八世紀の思想家であるが、彼はつぎのように書いている。「寛容の徳は貧しい国民の間では稀である」と[『市民社会における個人の不平等について』]。貧しい国民とはつまり、ひ弱な国民ということである。

(オルテガ『ドン・キホーテをめぐる省察』「読者よ……」長南実訳 『オルテガ著作集 1』収録 白水社、1969年)

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