(……)しかしいかに強力であり、いかに偉大でも、始皇はやはり「個人」である。「本紀」は個人の歴史を書くのだと云う主張を司馬遷は忘れていない。それ故「秦始皇本紀」の中には、上にのべたような立派な宣言や巨大な事業の記録の間にまじって、次のような目だたないが重要な一句が蔵されている。──「始皇楽しまず」!
「始皇帝は楽しまなかった」。この偉大な絶対者は楽しめなかった。不安であった。おびやかされ、いらだっていた。始皇帝ともあろうものが、弱き黔首(たみ)の一人のように悩んでいた。威力的な事業と堂々たる宣言で世界を塗りつぶしていたのに、まだ塗りつぶせない部分があって、そこからチラリと始皇帝の弱みがのぞき出すのである。チラリと見えるだけ、そこが火光のように電光のように、人の眼を射る。司馬遷はそう云う効果のある筆で人間を書くのが好きらしい。「今年は祖龍(そりょう)が死ぬだろう」と不吉な予言をする者があり、それを使者から始皇帝が聴きとる所がある。その時の始皇帝の有様も「始皇黙然たり」と記されている。あのように猛りたち、りきみかえり、動きまわっていた「始皇がだまりこんでしまった」のである。「だまりこんでしまった」と云う簡単な一句の中に、司馬遷の冷徹骨にしみとおるやりかたが覗われる。
(武田泰淳『司馬遷 史記の世界』「第二篇 「史記」の世界構成」、講談社文芸文庫)
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