「その妖術師めいたところさえなければ」と、ドン・キホーテが言った。「つまり、まじり気なしの本来の取りもち屋であったなら、この御仁(ごじん)がガレー船を漕ぎにいく必要はなかったであろうて。それどころか、ガレー船を指揮する提督になってもおかしくはなかった。なぜかと申せば、取りもちという仕事は誰にでもできるといった安易なものではなく、およそ思慮に富んだ者たちだけに可能な、しかも秩序のととのった国家にあっては必要この上ない業だからじゃ。(中略)そうすれば、この仕事あるいは生業(なりわい)が愚かで軽薄な連中、たとえば下卑た召使の女たちや、まだ年も若ければ経験も乏しい小姓やならず者たちの手に委ねられているところから生ずる無数の弊害を取り除くこともできようて。なにしろあれらの連中ときたら、いざとなると、つまり気転をきかせた迅速な対応が最も必要という時になると、すっかりうろたえ、萎縮(いしゅく)してしまって、それこそどちらが自分の右腕だかも分からなくなってしまう始末なんじゃから。拙者はさらに論を進めて、国家にとってこれほど重要な職務をになうはずの人間を厳重に選ぶことがいかに望ましいかその理由を開陳したいものだが、今はそれをするにふさわしい時ではござらぬ。いずれ機会を得て、こうした問題に対応できる立場にある人物に説くことにしよう。拙者が今ここで言っておきたいのは、上品な顔つきの白髪の老人が、取りもちの罪ゆえに苦しんでおられるのを見て拙者が抱いた心痛が、妖術使いという付け足しによって取り払われてしまったということでござる。とはいえ拙者は、時として愚かな連中が考えるような、人間の心を思いどおりに動かしたり強制したりする妖術などこの世に存在しないということはよく承知しておる。われわれの意思はもともと自由なものであって、これを左右しうるような薬草もなければ魔術もないからでござる。世間ではばかげた女たちやふざけたぺてん師たちが、さまざまな怪しげな物を混ぜ合わせて毒薬をつくり、それでもって男たちの頭を狂わせては、それに人を惚れさせる効能があると思いこませたりすることがままあるが、その実、先に言ったとおり、人間の意思を勝手に強制することなど不可能なのでござる。」
「そのとおりですよ」と、善良な老人が口を開いた。「正直に申しあげますと、旦那様、妖術云々(うんぬん)はまったくの濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)なんです。恋の取りもちのほうは否定しませんがね。だけどわしは、それで悪いことをしているなどと一度も思ったことはありません。だってわしの願いはただひとつ、この世の誰も彼もが楽しい思いをし、争い事や苦悩から解放されて日々安穏に暮らせますようにということだったからです。なのに、そうしたわしの善意も何の役にも立たず、ついに、そこからふたたび戻れるとは思えないところへ連れていかれることになりました。なにしろ、もうこの年齢(とし)ですし、おまけに、絶えずこの体をさいなむ膀胱炎(ぼうこうえん)をわずらっているものですから、帰ってくることなどおぼつかないんですよ。」
老人はこれだけ言うと、また最初のように泣き出した。それゆえサンチョはたいそう同情し、懐(ふところ)から四レアル銀貨を一枚取り出して恵んでやったのである。
(セルバンテス『ドン・キホーテ 前編(二)』「第22章」、牛島信明訳、岩波文庫)
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