調にはなだらかなる調も有之、迫りたる調も有之候。平和な長閑な様を歌ふにはなだらかなる長き調を用うべく、悲哀とか慷慨とかにて情の迫りたる時、または天然にても人事にても、景象の活動甚だしく変化の急なる時、これを歌ふには迫りたる短き調を用うべきは論ずるまでもなく候。しかるに歌よみは、調は総てなだらかなる者とのみ心得候と相見え申候。かかる誤を来すも、畢竟従来の和歌がなだらかなる調子のみを取り来りしに因る者にて、俳句も漢詩も見ず、歌集ばかり読みたる歌よみには、爾か思はるるも無理ならぬ事と存候。さてさて困つた者に御座候。(中略)
かかる歌よみに、蕪村派の俳句集か盛唐の詩集か読ませたく存候へども、驕りきつたる歌よみどもは、宗旨以外の書を読むことは、承知致すまじく、勧めるだけが野暮にや候べき。
(正岡子規「三たび歌よみに与ふる書」『歌よみに与ふる書』岩波クラシックス)
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