お前は反論するだろう。世界というシステムはおれたちになにもしてくれなかったと。社会は、おれたちの世代が生きる場所から、社会が悪いという言葉すら奪ってしまった。だからおれたちは何重にもフィルターをかけてキレイな言葉だけを濾過して取り出し、ライトノベルを書いた。おれたちが悪いのはおれたちのせいでしかないと、おれたちは考えるしかないのだ、と。どこまで他者に感情移入していい子ぶってりゃ気がすむんだ。近代ではかろうじて機能していた人間という基礎が自己崩壊した現代では、問いを解こうにも、その足場はない。足場は、問いと同時にみずからが建設するしかない。これはフーコーの言葉だ。古(いにしえ)の偉人が知の基盤にした神ははるかむかしに消え去った。つまり、いまの状況は、世界がおれたちに仕掛けた罠なんだよ。もともと解けない問いなんだ。それなのに自分の内側ばっか掘りやがって温泉でも掘るつもりなのか。けっ。そんなことをしても、自意識過剰な言葉たちが発掘されるだけで、効能のあるお湯なんか出てきやしない。おれたちは、前の世代に、この瞬間の生を謳歌する権利と未来の閉塞感のふたつを与えられた。だからおれたちも選択しなければならないときが来ている。次の世代に、さらに短くなるはずの生の謳歌とドン詰まり感がセットになった未来を与えるか、地獄の先にある開けた未来を与えるか。どちらにするか。そういうことだ。だからおれは選択したね。〇・一秒だってロスしてない。おまえがぐずぐず悩んでいるあいだに思考即行動。最速の選択だ。
(東浩紀+桜坂洋『キャラクターズ』「9」)
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