シッダールタは、父が木皮のむしろにすわっているへやに入り、父のうしろに行き、父が、だれかがうしろに立っているのに気づくまで、じっと立っていた。バラモンは言った。「お前かい、シッダールタ? では、何を言いに来たのか、言いなさい」
シッダールタは言った。「お許しください、父上。私は、明日うちを出て、苦行者のもとに行くことを願っております。それを申し上げにまいりました。沙門になることが私の願いです。父上がそれに反対なさりませんように」
バラモンは黙っていた。長いあいだ黙っていた。室内の沈黙が終るまでに、小さい窓のわくの中を星が移り、その形を変えた。むすこは無言で身動きできず、腕を組んで立っていた。父は無言で身動きせずむしろにすわっていた。星が空を移って行った。やがて父は言った。
「はげしい怒りのことばを話すことはバラモンにふさわしくない。だが、不満がわしの心を揺すぶる。わしはその願いを重ねてお前の口から聞きたくない」
ゆっくりとバラモンは立ちあがった。シッダールタは無言で腕組みしたまま立っていた。
「お前は何を待っているのか」と父はたずねた。
シッダールタは言った。「ごぞんじのはずです」
(ヘッセ『シッダールタ』新潮文庫、高橋健二訳)
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