2011年10月9日日曜日

引用ノック0269:東浩紀『インディヴィジュアル・プロジェクション』解説

神経症的な世界から脱出すること、業界文化として硬直した思想と批評を内破することばかり考えていた二〇代半ばの僕は、その非人間的な場所に独特の魅力を感じていた。
そこには人間がいない。神経症もないし業界もない。新作を仕上げた阿部をそこに連れていった僕は、おそらくは彼もまたその非人間性に惹かれることを期待していたのだろうし、とすれば、そのときすでに、三ヵ月後に書かれる『IP』の読みはほとんど準備されていたと言えるだろう。三宿から台場に行く物語、当時の僕はそのようにして『IP』を読んだのだ。
しかし実際は、この小説は渋谷を舞台にしている。僕は渋谷もまたよく知っている。(中略)渋谷には人間が多すぎる。単に数として多いだけでなく、そこにはさまざまなタイプの集団がいて、それぞれがそれぞれのルールで行動範囲を定め、また集団の盛衰も驚くほど早い。その速度は僕の知るかぎり、八〇年代の半ばあたりから急速に東京のほかの繁華街を凌駕し始めたのであって、その結果、九〇年代には、渋谷は歩くだけで極度に疲れる場所へと変わってしまった。
小説の最後に記されたように、九〇年代の渋谷を歩くとは、まさに「どこでもない場所に立」ち、「情報の渦のなかで戸惑」(一九〇頁)う体験だったように思う。(……)しかし他方でその街路はまた奇妙に非人間的で転移不可能な空間でもあり、通行人たちはたがいに関心を示さず、ただ黙々と目的地へと邁進するか、携帯電話に話しかけ、すぐ横での売春交渉に気付くこともない。転移と分裂、神経症的なものと多重人格的なもののこの共存はひどく疲れるもので、そのため、僕はある時期からこの街を意図的に避け始めていた。けれども阿部はむしろ、その混乱、分裂を行き続けるためにこそ小説を書いたのであり、それがこの『IP』だったのではないか。九七年の僕にはそれが分かっていなかった。脱出することばかりが勇気ではない。実際に、まだ「チーマー」と呼ばれる集団たちが渋谷でさまざまな抗争を繰り広げていたこの時期(その空気は小説からも読みとれる)、深夜に出かけるのだったら、台場よりも渋谷のほうが危険で刺激的だったことは言うまでもないだろう。

(平成十二年四月、哲学研究者)

(東浩紀「解説」、阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』新潮文庫所収)

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