ずっと、「短篇小説」と「長篇小説」の違いが気になっていた。
長さ以外に、何かが隠されている筈だと。
そして、なぜ日本の小説家(純文学限定)には、短篇の名手が多いのに、長篇小説をコンスタントに出す人が少ないのか? というのもずっと謎だった。(自分は)夏目漱石と、村上春樹くらいしか、純文学畑で「長篇小説」を多く残した人を知らない。
そのひとつ、ヒントを得た。
養老孟司曰く、「日本人はものを見る目が長く、書くものが短い」と。
だから彼はデカルトが好きだとも言っている。
んー、つまり、
三行以上は長文、というメンタリティと、例えば太宰治、井伏鱒二、坂口安吾あたりのメンタリティはつながっている気がする。
漱石も、新聞連載なので、じつは一回毎に独立の文章として読めるようになっているし。
ここらへんはボリス・ヴィアンの『日々の泡』やブローティガンの『アメリカの鱒釣り』に似ている。ヴォネガット『猫のゆりかご』も少しは該当するかも。
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