先ほど言明したように、あらかじめ聞いておくことがわれわれにとって肝要な例の重大な事実とは、つまりヴッツがその蔵書を全部──どうしてこの男にそんなものが買えただろうか──みずから手をくだして書いたということだ。彼の筆記用具がとりもなおさず彼のポケット判印刷所にほかならなかった。復活祭のころライプツィヒで開かれる書籍見本市に出品されたどんな新刊書も、ひとたびその標題がこの先生の眼にとまろうものなら、もうまず書かれた、というか、買われたようなものだった。何となれば、先生はただちに腰をすえてその作品を作りあげると、異教徒の書庫よろしくもっぱら写本だけからなるおのれの堂々たる書庫にそれを献本したからである。(……)彼はこの『ヴッツの断片』に『ラヴァーターの断片』という標題を付して、こう注をつけた。「小生は印刷された『断片』には何ら反対しない。しかし望むらくは、小生の筆跡が十四ポイント亀甲文字による印刷よりもすぐれてはいないにせよ、それと同じくらい読みやすいものであるように。」彼は、原本(オリジナル)を手もとに置いてしばしばあらかたそれから複製してしまうような例の呪われた海賊出版者ではさらさらなく、原本なるものをまったく手に取らなかったのだ。このことから次のような二つの事実が完全に説明できるというものだ。
(中略)
しかし、もしかしたら、その彼の暑中休暇のことを何にもましてはっきりと記しているのはニコラーイならぬ彼の手になる『ヴェルテルの喜び』であるかもしれず、ヴッツ伝の執筆者はそれをただ書きうつしさえすればいいほどだ。
(ジャン・パウル「陽気なヴッツ先生」 岩田行一訳、岩波文庫 1991年 『陽気なヴッツ先生 他一篇』収録)
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