木の葉と花びらが二人の行く先を、優しく指し示しているように思った。
兄上の気配がする、ルチフェルが近くにいる。
そのときミカエルが微笑みながらそう言った。
ルチフェルらしいやりかただ。
私たちのように見守るのではなく
注意をうながすのでも、理で諭すのでも禁じるのでもなく
美しさを見せることで、兄上は人間の心に光を点そうとしている。
暗闇に迷い込んだとしても、灯火さえあれば人は足を前に進めることができる。
確かに、たった一枚の花びらの美しさが
私が見せた生々しい警告よりも力を持つこともあるだろう。
神々や天使たちにさえ見えない明日を
ましてや人が見ることができないとすれば
それでも限りある命を燃やしながら人が生きていこうとすれば
力となり得るものは何かを兄上は示そうとしている。
いかにも兄上らしいやりかただ。
一度起きてしまったことは、二度とやり直すことはできない。
超宙空の寵児として生を受けた人間を
いったん見放された存在にしてしまったのはルチフェルだが
しかしそれでも人が生きていこうとするときに必要なことは何かと考えれば
失われてしまったことは失われてしまったものとして
その場所から向こうへと、とにかく歩きだすことだと言いたいのだろう。
たとえわずかであったとしても
自らの心を明るくする方に向かって
心が美しいと感じることを一つひとつ確かめながら進んでみること。
何もしないということなど、生きている限りありえないとしたら
生きることが何かをすることの積み重ねだとしたら
どうせなら、美しいと思えることに触れるしかないのだと
心や体をできるだけ美しさを感じやすいものに創り上げていくしかないのだと
自分の命を燃やすことの意味は、命と命を集めて燃やすことの意味は
そうすることの中から自ずと見えてくると、ルチフェルならば言うだろう。
どうやら兄上は、この地球の上で人間たちのそばにいて
美しいものを美しいと感じる人間の心の働きと触れ合おうとしている。
オウエイやビルティーニョとは違ったルチフェルならではのやりかたで
人間たちの為すことと、その行く末に、寄り添おうとしている。
ミカエルの、語りかけるような言葉が止むと、柔らかな風がアダムとエバ、そしてミカエルを包み、そこから、向こうへと流れていった。楽園を去る時が迫っていた。(『ドレの失楽園』「第十二幕 神々たちの願い」 原作:ジョン・ミルトン 翻案:谷口江里也 挿画:ギュスターヴ・ドレ 宝島社、2010年)
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