牛込区喜久井町一番地 夏目金之助より
松山市港町四丁目十六番戸 正岡常規へ
爾後(じご)眼病とかくよろしからず。(中略)
この頃は何となく浮世がいやになり、どう考へ直してもいやでいやで立ち切れず、去りとて自殺するほどの勇気もなきはやはり人間らしき所が幾分かあるせいならんか。「ファウスト」が自ら毒薬を調合しながら口の辺まで持ち行きて遂(つい)に飲み得なんだといふ「ゲーテ」の作を思ひ出して自ら苦笑(にがわら)ひ被致(いたされ)候。小生は今まで別に気兼(きがね)苦労して生長したといふ訳でもなく、非常な災難に出合ふて南船北馬の間に日を送りしこともなく[……]。(……) life is a point between two infinities とあきらめてもあきらめられないから仕方ない。
We are such stuff
As dreams are made of: and our little lifeIs rounded by a sleep.
といふ位な事は疾(とう)から存じてをります。生前も眠なり死後も眠なり、生中の動作は夢なりと心得てはをれどさように感じられない処が情なし。(……)ああ正岡君、生(いき)てをればこそ根もなき毀誉(きよ)に心を労し無実の褒貶(ほうへん)に気を揉(も)んで[……]禅坊に笑はれるではござらぬか。(……)棺を蓋(おお)へば万事休す。わが白骨の鍬(くわ)の先に引きかかる時分には誰か夏目漱石の生時を知らんや。穴賢。
[後略]
漱石拝
子規 机下(『漱石・子規往復書簡集』「明治23年」 和田茂樹編 岩波文庫、2002年)
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