この物語が繰り広げられておりまする時代には、世界の事物のありようは、いまだ混乱しておりました。名前や、観念や、形や、制度の中には、実在するなにものとも照応しないものも珍しくはございませんでしたし、また一方、世界には、名前もなければ、他のものとの区別もない事物や、能力や、人間が満ち溢れてもおりました。それは、おのれの存在を主張しようとする意志や執念、なにかの痕跡をしるしたり、存在するものと取っ組みあおうとする意志や執念が十分に発揮されなかった時代でございました、──貧困や無知のせいもあり、また逆に、それにもかかわらずすべてがなんとはなしにうまく運んでいたせいもありまして──多くの者たちは何もしようとはしませんでしたし、したがいまして、無の中に消え去ってしまった者も多うございました。しかしながら、かほどに希薄でありましたそのような意志や自意識が、ちょうど目にも見えない細かい水滴が結ぼおれて雲の塊となりますように、濃く凝り固まることも時にはございました。そして、その凝り固まりが、たまたまか、それともはずみでか、その頃にはしばしばございました空(あ)いたままの名前や、家系や、軍隊での階級や、うまりは果たすべき本分と定められた規則とがひとつに合体したものに、そして──わけても──空いたままの鎧に、出くわすというようなこともありえたかも知れませぬ。なにしろ、鎧がなければ、流れ行く時とともに、存在する人間さえも消えてなくなるおそれがあったのでございますから、ましてや存在しない者ともなればいかがなことにあいなりますやら……いずれにせよ、かようにしてグィディヴェルニのアジルルフォはその活躍を始め、栄光を追い求めることにあいなった次第でございます。
(イタロ・カルヴィーノ『不在の騎士』「第四章」脇功訳、松籟社、1989年)
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