2014年05月10日
急に思い出した。できれば思い出したくない記憶だ。
小学生の頃、町内対抗の運動会に出た。
私の地域は高齢者が多く、
当時祖父の家で暮らし老人が得意で、
誰にでも元気に挨拶していた私は、
皆の孫のように町内でとても可愛がられていた。
おじいさんおばあさんは小さい子が
一生懸命走る姿を見たかったのだろう、
戦力になるかどうかは無視して
私は最後の町内対抗リレーに出ることになった。
私の前の走者は、町内に住んでいた親戚のおじさんだった。
リレーなんて初めてだったので、バトンを貰う時、
やめておけばいいのに、ちょっと頑張ろうと思って、
見よう見まねで走り出しながらバトンを受け取ろうとすると、
おじさんと足が絡んだ。
そのせいでおじさんは大きくバランスを崩して腰から転んだ。
その時すごく痛そうな顔をしていたので止まって
謝ろうとしたが、「○○ちゃん、行け!行け!」と
皆に急かされたので、すぐにまた走り出し、
おじさんの顔を思い出してドキドキしながら走り終えた。
その後おじさんとはきっかけもなく特に会わなかった。
しばらくしておじさんが仕事を辞めたと聞いた。
あの時、おじさんは大腿骨にヒビが入ったらしい。
しばらくは自分でも気付かず、脚に違和感を覚えて温泉や運動で治そうとしたのがかえって良くなかったようで、
病院に行った時には炎症も進んでいて、
すっかり脚を悪くしてしまった。
元々はしっかりした体で活発な性格だったおじさんも、
脚を悪くしてから家に引きこもりがちになり、
仕事を辞めてからは頭を使う機会も減り、呆けていったのか、
運動会の日から数年後に話した時、私は変わりように驚いてしまった。
呂律がなんとなく曖昧になり、
そもそも人の良さがあらわれていた目からは
相変わらず悪意を感じないが、どことなく生気も欠けていた。
その後、おじさんの体調は緩々と下り坂を辿り、
私が高校3年生で大学受験を控えた冬に亡くなってしまった。
それまでに何度か人の死に立ち会った事があったが、
あの時のおじさんの棺に入れられた姿が最も印象に残っている。
私は今でも、おじさんの死の原因を作ってしまった
のは私だという考えが、時々頭に浮かんだり、
それをまた隠したりしている。
幼い頃の思い出で、おじさんのその後について聞いた話も
切れ切れだから、何か事実と違うのかもしれないが、
それを確かめるのも、怖すぎてできない。
リレーは町内の皆が見守っていたから、
あの時可愛がってくれていた周りのおじいさんおばあさんも、
私のせいだとうっすらと思っているのかもしれない。
私はまた、他の出来事がきっかけで医学部を志望し、
おじさんが亡くなった冬に医学部に合格して
数年後には人を救う役割の医師になるつもりでいるが、
この事件と自分の仕事との矛盾がいつか私の心を打ち壊すのではないかと思っている。
(『自分が書かなければおそらく誰かが書く日記』 http://darekagakaku.herokuapp.com/a )
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