2013年10月30日水曜日

引用ノック0550:スプリング•フィーバーED

「おれの労働の結晶、はじめてもらった五円はすでに三円つかった。まえからある一円あまりをあわせても、部屋代を払うと、ニ、三十銭しか残らない。どうしたらいいだろう。このボロの綿いれを質に入れようか。でも、質屋でもおそらく引き取るまい」
この少女はじつに可憐だ。しかしおれの今の境遇は、彼女にさえおよびつかない。彼女ははたらきたくないのに、仕事が彼女を強制している。おれは、はたらきたくても仕事がない。
筋肉労働をしようか。ああ、しかし、おれのこのやせ腕では人力車一台引く力もない。
自殺! おれに勇気があれば、とっくにやっているさ。だが、いまでもこの二字を思いだすところをみると、おれの元気もまだ完全になくなってはいないな。
ハッ、ハッ、今日のあの無軌道電車の運転手の奴、おれをなんとののしった?
赤犬、なるほど、赤犬とはうまいことをいいやがった。
…………
…………
私はいろいろなことをあれこれと考えたけれど、けっきょく、自分をいまの窮状から救い出す何ひとついい方法は思い浮かばなかった。工場の汽笛がきこえた。十二時を知らせたらしいので、私は立ち上がって、昼間のあのボロ綿いれに着かえ、蝋燭をふき消してそとへ散歩に出た。
貧民街の人たちはすでに寝静まっていた。むこうに見える日新里の�脱(ドント)路のほうにむかったひとならびの洋館には、まだ何軒か赤や緑の電灯がついていて、バラライカの音がもれていた。一声、二声、すんだ歌声が哀調をおびて、静寂な深夜の冷気のうちを私の鼓膜に伝わってきた。それはたぶんさすらいのロシヤ娘が銭のために歌っているのだろう。空一面にひろがった灰色の薄雲が、くさった死体のようにどんより頭上におおいかぶさっていた。雲の裂け目から一つ二つ星が見えたが、星の近くの、どす黒い空の色は、無限の哀愁を含んでいるように見えた。
(一九二三年七月十五日)
(郁達夫「春風沈酔の夜」岡崎俊夫訳)

0 件のコメント: