砂:基調報告で、私はスポーツを主題にできるおそらく唯一のジャンルとしてのマンガ、なんてことをぶちあげているのですが、まずこれについて小説家であり、映画評論もされている阿部さんに伺いたいんです。自分が知る限りでも、明治時代の文学者たちの書簡の中に「最近スポーツとか盛り上がっていて嫌じゃないですか……」なんて書いてあるものがあった。たしか寺田寅彦が森鴎外に出した手紙だったと思うんですが。そこではスポーツは文学の題材になるどころか完全に排除されている。
そうした文学側からの言及の中で唯一毛並みが違うなと感じたものはムージルの『特性のない男』です。こうした30年代頃の東欧文学にはスポーツの痕跡がいくつかあって、『特性のない男』では、軍人、技術者、数学者と野心を抱いて職を渡り歩く主人公が、ある朝新聞で「天才」の称号がボクサーどころかとうとう競走馬についているのにショックを受けていたりする。「馬も天才になる時代か」と。そこでぐったりしつつとりあえず一年間の隠居生活をはじめて特性のない男になる、という話なんですよ。これはスポーツに対してユーモアを示してますよね。他にも、たとえばゴンブローヴィッチの『フェルディドゥルケ』では、テニスをする女学生と文学青年が対決するとかがある。
(「TINMIXインタビュースペシャル 阿部和重×砂「車から老いへ」(司会・東浩紀)」)
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