「狂気のテーマは極めて重要である。(カーニヴァルの行われる)市場における喧嘩、道化への野次のごときものが劇に導入され、その雰囲気を決定する。饗宴は、狂気への権利を許容する。狂気はもちろん、アンビヴァレントなものである。それは一方では道徳低下と破壊(今日これらの側面だけがネガティヴに強調されすぎるのだが)の側面を持つが、他方それは再生と異なるものの示現という積極的要素を含む。狂気は、智慧の反対物であり、さかさまの智慧、さかさまの真実である。それは、公的な法とそれに基づく慣習の底に深く沈殿しているものである。狂気はすべての法や禁制、先入見、生真面目さから解放された陽気な祝祭的叡智なのである。それは人をして世界を”狂気じみた眼”で見ることを可能にする。そしてこの狂気への権利は、道化を饗宴のみに属しているのではなく、民衆的な側面を持つすべての饗宴に属するのである。」ある意味ではアルレッキーノは、このような饗宴的世界に住んでいる悪霊(ダイーモン)的なものの形象化であるかもしれない。
(山口昌男『道化の民俗学』「第2章 アルレッキーノとヘルメス」)
(引用部分:バフチン『ドストエフスキイ論』新谷敬三郎訳→『ドストエフスキーの詩学』望月哲男・鈴木淳一訳)
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