2012年6月7日木曜日

引用ノック0415:狂気の双面

『緑陰の劇』を分析したバフチンは、生殖儀礼、さいころによる予祝、聖骨を持った僧、地下に追われた異郷の神の復活などを通して展開されるこの狂躁に満ちた劇中劇における中心的テーマは狂気であるとして次のごとく述べる。
「狂気のテーマは極めて重要である。(カーニヴァルの行われる)市場における喧嘩、道化への野次のごときものが劇に導入され、その雰囲気を決定する。饗宴は、狂気への権利を許容する。狂気はもちろん、アンビヴァレントなものである。それは一方では道徳低下と破壊(今日これらの側面だけがネガティヴに強調されすぎるのだが)の側面を持つが、他方それは再生と異なるものの示現という積極的要素を含む。狂気は、智慧の反対物であり、さかさまの智慧、さかさまの真実である。それは、公的な法とそれに基づく慣習の底に深く沈殿しているものである。狂気はすべての法や禁制、先入見、生真面目さから解放された陽気な祝祭的叡智なのである。それは人をして世界を”狂気じみた眼”で見ることを可能にする。そしてこの狂気への権利は、道化を饗宴のみに属しているのではなく、民衆的な側面を持つすべての饗宴に属するのである。」
ある意味ではアルレッキーノは、このような饗宴的世界に住んでいる悪霊(ダイーモン)的なものの形象化であるかもしれない。

(山口昌男『道化の民俗学』「第2章 アルレッキーノとヘルメス」)
(引用部分:バフチン『ドストエフスキイ論』新谷敬三郎訳→『ドストエフスキーの詩学』望月哲男・鈴木淳一訳)

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