(……)けれど、いちばんイヤだったのは、「あゝ おまへはなにをして来たのだと……/吹き来る風が私に云ふ」という箇所だった。
大江さんは、「吹き来る風」なんかに「おまへはなにをして来たのだ」といわれる筋合いはない、と怒った。そして(大江さんによれば)、それ以来、大江さんの周りの人たちは、大江さんのことを「吹き来る風に文句をいう男」と呼ぶようになったのである。
(中略)
では、「吹き来る風」に文句をいう「読み」は愚直なのだろうか。(中略)
ここで不思議なことが一つある。「吹き来る風」に文句をいうことは、滑稽だ。あるいは、滑稽に見える。そして、「吹き来る風」に文句をいうような人間は、そのことを滑稽だとは感じない(と想定される)だろう。ドン・キホーテが滑稽に見えるのは、ドン・キホーテが、自分が滑稽であるとは(おそらく、死ぬ寸前以外のほとんどの期間)思っていないからなのだ。
(中略)
大江さんの小説はおもしろい。そして、同時に、あんなに真剣な小説は、他にあるものか。でも……。
「わからない。大江さんは、ほんとうは、どう思って、書いているのだろう。(後略)」
(高橋源一郎『さよなら、ニッポン ニッポンの小説2』)
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